月面着陸に挑んだ「アポロ計画」
「地球は青かった」という言葉で有名なソ連の宇宙飛行士ユーリ·ガガーリンは、1961年に宇宙から地球を1周し、活動領域を宇宙にまで広げました。
そして、 人類が次の到達点として目指したのが『月』。
人類を月に初めて送り込むことに成功したのは、今からちょうど半世紀前のアメリカNASA「アポロ計画」におけるアポロ11号でのミッションのことでした。
月への到達は、今の宇宙開発の歴史に深く貢献しましたが、大きなことを成し遂げた成功とともに、数々の犠牲や困難があったようです。
NASAが月に挑戦してきた「アポロ計画」を振り返ります。
アポロ計画とは何だったのか?
「アポロ計画」は最初、有人宇宙船を月軌道上にのせる計画でしたが、1961年のケネディ大統領の演説により、月面に有人宇宙船着陸を成功させる計画に変更されました。
アポロ宇宙船を月に送り込むために、サターン5型ロケットが使われましたが、重量2800tと超大型のため、使い切った燃料タンクやエンジンを切り捨てては加速し、全体の重量を大幅に軽減しながら、宇宙飛行士たちの帰還に繋げていきました。
この「アポロ計画」は、アポロ1号に始まり、1972年までにアポロ17号までのミッションが上げられました。
その中で月面着陸を初めて成功させたのは「アポロ11号」で、“偉大な一歩”を踏み出したのです。
月面着陸を初めて成功させた「アポロ11号」
「これは1人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な一歩である」。*
この言葉は、人類史上初めて月面に立ったニール・アームストロング船長の言葉で、月面着陸の様子はテレビ中継により世界中に伝えられました。新たな歴史を刻んだ瞬間、世界中の人々がその様子にくぎづけになったことでしょう。
後に日本人宇宙飛行士として初のISS長期滞在ミッションをこなした若田 光一宇宙飛行士もまた、当時5歳に「アポロ11号」の月面着陸を見たことで、宇宙へのあこがれを抱いたようです。
1969年7月20日午後4時18分、ニール・アームストロング船長とバズ・オルドリン飛行士は、月着陸船イーグルで「静かの海」に着陸しました。
月面での滞在時間はわずか1時間36分ほどでしたが、21kgの月の石を持ち帰り、地球に無事帰還しました。また、アメリカとソ連の宇宙計画で亡くなった5人の宇宙飛行士のための記念碑を月面に置きました。
アポロ計画はアポロ17号までミッションが掲げられましたが、アポロ11号の前後にはどのような成功や苦労があったのでしょうか。
次の章では、アポロ1号からアポロ17号までのミッションや結果をまとめました。
*サイトにより、言い回しが異なる場合があります。
アポロ1号からアポロ17号に至るまで
アポロ1号
[1967年1月27日]
アポロ計画初の有人宇宙飛行を試みようとしたアポロ1号。打ち上げの予行演習の最中に、アポロ宇宙船の突然の爆発事故により、船内にいた3人の宇宙飛行士が死亡。アポロ1号は打ち上げられず、アポロ計画を中止すべきという世論がしばらくの間起こった。
アポロ2号〜3号
有人打ち上げを延期し、ミッション未実施。
アポロ4号〜6号
[アポロ4号:1967年11月9日、アポロ5号:1968年1月22日、アポロ6号:1968年4月4日]
有人ミッション再開のために重要となる無人宇宙飛行が行われた。
アポロ7号
[1968年10月11日打ち上げ~1968年10月22日帰還]
アポロ計画初の有人宇宙飛行を行ない、宇宙船のテストをした。宇宙から生中継も行われ、世界中の人々を熱狂させた。
アポロ8号
[1968年12月21日打ち上げ~1968年12月27日帰還]
1968年のクリスマスイブに、人類初の月周回飛行を成功させた。また将来の月着陸計画にそなえて着陸候補地5カ所を決定し、数百枚におよぶ月面写真を撮った。
アポロ9号
[1969年3月3日打ち上げ~1969年3月13日帰還]
2人の宇宙飛行士が、宇宙空間から月着陸船に乗りこんで操縦し、アポロ宇宙船とドッキングを成功させた。アポロ計画で初めての船外活動となった。
アポロ10号
[1969年5月18日打ち上げ~1969年5月26日帰還]
月着陸船の最終テストと着陸予定地の確認をミッションとし、月着陸の予行演習を成功させた。
スイッチの設定ミスから月着陸船は激しい揺れにみまわれたが、大事故をまぬがれ、月着陸船の耐久性と優秀な性能が証明された。
アポロ11号
[1969年7月16日打ち上げ~1969年7月24日帰還、7月20日に人類史上初めて月面着陸に成功!]
人類史上初めての月面着陸に成功した。アメリカとソ連の宇宙計画で命を失った5人の宇宙飛行士のための記念碑が月面に置かれた。また、21kgの月の石を地球に持ち帰った。
アポロ12号
[1969年11月14日打ち上げ~1969年11月24日、月面着陸に成功]
11号に続く2度目の有人での月着陸と、月面での調査活動がミッション。船外活動を行ない、34.3kgの月面物質を採集。また、無人観測ステーションを設置し、無人探査機サーベイヤー3号からTVカメラと宇宙線感知板を回収した。科学調査のため、帰還の際に切り離した着陸船を月面に衝突させ、人工地震をおこした。
アポロ13号
[1970年4月11日打ち上げ~1970年4月17日帰還、月着陸を中止]
打ち上げからおよそ56時間後、月に向かう軌道上で機械船の酸素タンクが爆発したため、月着陸を中止。電力と酸素の供給が低下しアポロ宇宙船は機能を失いかけたが、月着陸船に避難し、電力・酸素・燃料を節約することで、宇宙飛行士3名が無事帰還した。
アポロ14号
[1971年1月31日打ち上げ~1971年2月9日帰還、月面着陸に成功]
43kgの岩石を採集し、観測機器などを設置して、人工地震の実験も行なった。アポロ14号が設置した地震計により、翌年その近くに直径3mほどの隕石が落下した際、サターンV第3段衝突実験の100倍を越える振動を計測できた。
アポロ15号
[1971年7月26日打ち上げ~1971年8月7日帰還、月面着陸に成功]
月の地質調査のため月面移動車が初めて使用され、山岳地帯の探査で活躍した。77kgの岩石を採集し、月面に観測機器を設置。より多くのサンプルを手に入れられるようになった。
アポロ16号
[1972年4月16日打ち上げ~1972年4月27日帰還、月面着陸に成功]
月の高地に初めて着陸した。3度の船外活動で合計27kmの距離を移動。97kgの岩石を採集し、月面に観測機器を設置した。
アポロ17号
[1972年12月7日打ち上げ~1972年12月19日帰還、月面着陸に成功]
アポロ計画で最後に打ち上げられた宇宙船となった。科学者(地質学者)が初めて月を訪れ、月面を調査した。採取した岩石も110kgと最も多く、飛行時間と月面滞在時間も、今までの最長となった。
アポロ1号での不幸や、アポロ13号での予期せぬ事故など、数々の犠牲や困難を乗り越えてきた「アポロ計画」は、最後のアポロ17号までに6機の月着陸に成功、12人の宇宙飛行士を月面に送り、大きな科学的成果を上げました。
1961年のケネディ大統領のかつての演説から、最後のミッションとなった1972年のアポロ17号まで、わずかの期間の中でこれだけ多く月に挑んできたのだから、かなり難題な挑戦であったことは言うまでもありません。数々の挑戦もそうですが、人々の支えあってこそ達成され、今の宇宙開発に活かされているとも言えます。
当時紛れもなく人類共通の偉大な夢であった月面着陸は、“偉大な一歩”へと変革を迎えました。
これからどんなミッションに挑み、どんな価値を見出していくのか。宇宙開発のこれからの挑戦にも注目してみてください。
参考 : 宇宙情報センター / SPACE INFORMATION CENTER
画像の出典 : JAXA、NASA
執筆者プロフィール
ゆみ
星空をこよなく愛する宙ガール編集部員☆『宇宙兄弟』公式サイトにて、宇宙関連情報記事のライターを担当。